2013年12月08日

H.Nさん

母・弟ともども、大変お世話になったH.Nさんが、12月2日亡くなられました。
ご冥福をお祈り致します。

まだ58歳、美人薄命…。8月に「夏バテかと思ったら胃ガン!…」という葉書を下さり、でも、その後も「元気です」と絵手紙をたびたび下さいました。母を通じて知り合い、母の事でも大変お世話になった方です。母の入院中、忙しいさなかをお見舞いに来て下さったり、励まして下さったり、母が亡くなる直前の一晩、Tさんと一緒に付き添って下さったり。。。母が亡くなった後も、元気が出る葉書を下さったり、新米や可愛い小物を送って下さったり、帰省する度に、お茶に誘って下さったり、素敵なギャラリーがあると教えて下さったり。。。

2日の夜、ワイルドライフというテレビ番組をみた後、何となくつけっ放しにしておいたら『ローマの休日』が始まりました。手紙のやりとり中に「好きな映画は何ですか?」と聞いたら「ローマの休日大好き!」と答えて下さったので(Nさんの好きな映画だな〜)と思っていました。翌日の夕方、訃報を聞くことになりました…。

H.Nさん、本当に本当に本当に本当に本当に、お世話になりました。
ありがとうございました。

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金沢にて。コサギ。
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カワセミ。ピカピカの青色で飛んでいきました。
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ムクドリ。この写真を撮る直前、集団で水浴びしていました。

posted by Aya at 14:13| Comment(0) | 健康・病気

2010年12月11日

2010.12.11 明るい母のその後の生活(4)

〜『絵本・絵本・絵本をつくりたい!』ブログを掲載していたところがなくなるので、以前の記事を移行しています〜

2010/04/15(木) 週末金沢へ行くことに。「寒いから冬の格好で」とTELあり。

2010/04/17(土) Tさんと金沢駅まで迎えにきてくれた。

2010/04/18(日) 卯辰山のお店で食事。少しずつたくさん食べた母。

この頃、入院先の病院でソーシャルワーカーの方から身体障害者手帳を作ることや、要支援1,2要介護1あたりのサービスを使うことを勧められた。先生からは「小さいガンはあるが、進行はとまっているであろう」「入院のままでも退院でもよい」「ご家族がどうしたいか」と。

2010/04/23(金) 「テンション低い」と母。GW、「1日から行く」と言ったら「そんな先のことはわからない」とも。

ある日の会話。私「春はどこいっちゃったんだろう。」 母「キキと一緒や。」

時々携帯のメールを、お見舞いに来てくださっている友達(特にTさん、同僚のNさんは毎日のように入れ代わり立ち代わり来てくださっていた)にうってもらっていた。

2010/05/01(土) 夜、金沢着。メールで何度も「今、どこや」ときかれた。

2010/05/03(月) 母の足がすごくむくんで太くなっていた。それでも………「(母が)楽しみにしとってんよ。」とTさん。母と私を七尾美術館へ連れて行って下さった。Tさんお手製レアチーズケーキも頂いた。これがとっても美味しい。母もお気に入り。車椅子で七尾美術美術館をまわったあと私だけ近くにあったこども図書館のような所へ。Tさんと母は喫茶店で待っていた。帰り道、病院へ寄って外出届けを外泊届けに変更。夕方、ラ・フォルジュルネ<毎年金沢で開催される数日間の複数クラシックコンサート。今年は母の大好きなショパン。4月12日に再入院する直前、ショパンのCDを聴き始めた母。「少し落ち着いた」と言っていた。

2010/05/04(火) Tさんの運転で、倶梨伽羅不動尊へ。母が車に積んでいた前年の破魔矢などを燃しに。お参り。杖をついて猫背で歩いている母に「おばあちゃん、元気でまた会おうな」と声をかけてくれたおじいちゃん。「今日はおばあちゃんデーや。」と母。母の希望でクラシックコンサートへ行くのをやめて『ぶどうの木』で食事。パスタを半分くらい食べた母。 

2010/05/05(水) 私だけバスで病院へ行き、薬をもらって戻った。その帰り道で、あったかイトオテルミーの施術をしてもらう為、金沢駅でやまむら療養所の方と待ち合わせた。母に「今から二人で行く」と連絡したら座って待っていた。

2010/05/06(木) 少し早めの誕生日プレゼントをあげた。母は病院へ、私は横浜へ戻った。弟とTさんに母の傍にいてもらった。

2010/05/08(土) 母から日野原先生の病院の資料を送ってほしいと、しっかりした文章のメール。これが最後のメールになった。

2010/05/09(日) 弟が母の日の花束を持って病院へ。私はショパンのCDとラジカセを持って行ってあげて欲しいと頼んだ。夜、容態がよくなく酸素吸入器からマスクにきりかえた、との連絡。胸のレントゲンを撮ったら右肺が真っ黒だと。肺炎もしくは癌性リンパ管症(肺のリンパ管に癌細胞が広がる)との説明。

病状説明書より

癌性リンパ管症であれば肺の状態としては末期状態。急速に呼吸状態が悪化する可能性もあります。数日〜1週間以内に急変する可能性があります。急変時には末期状態でもあり、蘇生術は行いません。また、呼吸状態が悪化した場合には眠っている状態の方が御本人が楽な場合もあります。この場合は麻薬の増量や睡眠薬を使用する鎮静を行います。

弟とTさんが気をきかせて母には「肺炎」だと言った。母は「肺炎かぁ。」と笑っていたらしい。

2010/05/10(月) 私も病院へ。意識朦朧としながらも日野原先生の資料の話をきいてくれた。前に頼まれて買ってあった「ペシャワールにて」という本も読んで欲しいと弟に言っていたらしく、私も続きを読んであげた。でも、めざましテレビの時間には、テレビをつけてほしいと(!)。

弟が先生からいわれた注意事項

・酸素マスクは必ずつけておく・体を動かす時は必ずナースコール・左へ横になると呼吸が苦しくなる(左肺は生きているから)・ジュースや水は少しならOK、むせないように見る(⇒結局、霧吹きのようなのに水をいれて口をあけてもらってシュッシュッとやっていた)・食べ物は酸素を外さなければならず、苦しいかも…みていれば少しOK?(夜中に焼きたてのやわらかいパンが食べたいと言ってたらしく弟が買ってきたが食べてもらうことはできず)・マッサージは問題ない(弟の彼女さんがアロマで足をマッサージしてくれた)

時々酸素マスクを外そうとする。苦しそうなので麻薬の量を増やす。眠っているような状態が続く。看護婦さんから今晩そばにいてあげた方がよいとの助言。Tさん、Nさんも付き添って下さった。弟と4人でいろいろな話をした。母も時々会話に加わっているようだった。

10日は、20年前に亡くなった父(50才 H2-9-8 命日・戒名:皎月一寧信士)の誕生日でもあり。

2010年5月11日、午前中に母が他界しました。目をしっかり開けてこちらをみていました。最後の力をふりしぼっていたのだと思います。5月13日の61歳の誕生日を目前にしてのことでした。辛かったです。エリザベス・キューブラー・ロス女史の本などを読みあさりました。『永遠の別れ』という本は特に励みになりました。生きている間の終わりの方は、時間や空間(場所)の感覚がなくなってくるのかな、と感じています。そういうことを知っていたらもっと傍にいたのかもしれないな、とも思います。半年経って、やっと書けました。ブログの更新がこんなに遅くなってごめんなさい。

お世話になったKさん、Tさん、Nさん、植松先生、横川先生、O先生、F先生、ローラ浅田さん、母と交流のあったみなさま、励まして下さったみなさま、温かい言葉を下さったみなさま、本当にありがとうございました。

投稿日 2010/12/11 健康・病気 | リンク用URL
コメント

佐藤文美です。ご無沙汰しています。
この度のお母様のご訃報を承り、心からお悔やみ申し上げます。ご病気のことは知っていましたが、こんなに早くお亡くなりになろうとは想像すらできませんでした。ブログを更新されていなかったので、とても気になっていました。 この半年近く、辛かったですね。さぞ力おとしのこととお察しします。ご冥福をお祈りします。
先日、平沼高校で日野原先生の講演があり、聴きにいきました。保育園の行き帰りに出会った平沼高校の美術の先生に声をかけていただきました。その先生は、お姉さまを介護し、看取ったそうで。。。日野原先生とは、看護をきっかけに出会われたそうです。ブログをみていたら、なんとなく相通じるものを感じました。いつかそんなお話しもしたいですね。
娘は来年春から幼稚園に通うことになり、いよいよ私も一歩を踏み出すことにしました。
不安もありますが、このままでは後悔する気がします。泉ちゃん、後藤さんが活動を再会しています。落ち着きましたら、是非笑顔で再会しましょうね。

投稿 A.Sさん | 2010/12/21 23:14

文美さん、母への丁寧なお悔やみの言葉と、気にかけて下さっていたこと、ありがとうございます。本当に、心の準備のようなものが全然できておらず、茫然となってしまっていました。

でも、最近は絵本サークルに顔を出したり、美術館に行ったり、五味さんのトークショーに行ったり、少しずつペースを取り戻しています。今はとても元気です。


平沼高校の美術の先生…なんとも近い場所で日野原先生の講演があったのですね。私も数年前に、母と神楽坂で「いのちの授業」を受けて、「いのちとは目にみえないけど、自分が使える時間なんだ」とおっしゃってた事を思い出しました。横浜パシフィコでも、長い時間立ちっぱなしで講演されてて、日野原先生のパワーには本当にびっくりします。ユーモアのセンスも抜群で元気もらえますよね。

あんちゃん、来春から幼稚園ですかー。ともだち沢山できそうですね。

文美さんの1歩は、どんな1歩でしょうか?お手伝いできることあったら言って下さいね。11月にエンドウユキコさんの写真展に行き、久々にお会いしてねこじゅうのことを思い出していました。是非、笑顔で文美さんや皆と再会したいです。

投稿 Aya | 2010/12/23 01:04
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2010年05月09日

2010.05.09 あったかイトオテルミー

〜『絵本・絵本・絵本をつくりたい!』ブログを掲載していたところがなくなるので、以前の記事を移行しています〜

荻窪のみなみ施術所で『イトオテルミー』の施術をうけてきました。母に試したいと思い…。

イトオテルミーとは…(みなみ施術所Webサイトより)-----------------------------

イトオテルミー療法は伊藤金逸博士が、1929年(昭和4年)に発明した80年の歴史をもつ民間療法です。名前の由来は、博士の姓「イトオ」とギリシャ語の温熱を利用した療法を意味する「テルミー」からきています。

テルミーの温熱刺激は、自律神経系、循環系、内分泌系、免疫系の働きを調整して免疫増強による自然治癒力をたかめ、さらには体質の改善効果等を目的としています。また、血液やリンパの流れを促進させ、疲労回復、筋肉のこり等をほぐし消火器系の働きを活性化させる効果もあります。-----------------------------

とっても、気持ちよかったです。「熱が入った」とかの感覚はわからないのですが、帰りの電車で背中や腰がほっかほか。そして帰宅してから眠気がすごくて超ぐっすり。最近、右腕が痛かったのが、そういえば治ってます★

出して下さった手作りお菓子&ルイボスティーも、とても美味しく頂きました。施術して下さったみなみなつよさんは、アートな活動もされているので、そのあたりのお話もできて嬉しかったです。お部屋に飾ってあった作品、素敵でした〜〜。

この日は、到着時間が早かったので近くの公園に行ったら、ガンジーの銅像にであいました。中学1年生の時、学校から映画を観に行って衝撃を受けた方です。七つの大罪というのが書いてあり

・自己犠牲なき信心

というのにドキッとしました。

後日、金沢でやまむら療養所という所を知り、外泊中の母にも施術して頂きました。あとから「刺激的なあつさだった」と言っていましたが、気持ち良さそうでした。今後も続けていきたいです。

投稿日 2010/05/09 健康・病気 | リンク用URL
コメント

こんなに書いてくれていたのですねえ。おそい反応ですみません。
そして南施術所にきてくださってありがとうございました。

お母様も体験されたのですね。
テルミーも先生によって個性が色々なので、またお会いしたときに、お話きかせてくださいね。

投稿 minaminatsuyo | 2010/05/24 19:58

みなみなつよさん、コメントありがとうございました。半年以上も載せていなくてごめんなさい。

やまむら療養所の施術して下さった方にもお伝えしたのですが、最後に親孝行らしきことができて良かったです。

投稿 Aya | 2010/12/07 21:53

先日は、ゆっくりお話できなくて残念でした。。。だけど、ひさしぶりにお顔を見られてよかったです。

テルミーでお会いしてからの、お母様との日々を読ませていただいて、、、じ〜ん、、、としてしまいました。明るいお母様は、いつも心の中でいっしょにいてくれることと思います。

投稿 minami natsuyo | 2010/12/24 16:02

みなみなつよさん、私も先日はお顔をみられて嬉しかったです。読んで頂いてありがとうございます。そうですね、今は常に一緒に色々楽しめてると思います。

やまむら療養所の先生は、元看護士さんで患者さんにテルミーのことを聞いて、勉強して、病院でも施術されていたそうです(普通の病院では火を使うことから中々許可してもらえないそうですが、先生がいらした所ではやらせてもらえたそうです)。

きめ細かく母の様子をきいて下さりながら対応して下さって、ありがたかったです。


また、みなみ施術所に伺いたいと思っておりますので、よろしくですm(_ _)m

投稿 Aya | 2010/12/25 22:11
posted by Aya at 00:00| 健康・病気